大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

秋田地方裁判所 昭和53年(行ウ)16号 判決 1986年1月31日

原告 奈良昭夫

被告 国

主文

一  原告が、被告との間で、横手郵便局長が原告に対してなした昭和五三年六月九日付の一か月間俸給の月額の一〇分の一を減給するとの懲戒処分の付されない地位にあることの確認を求める訴えを却下する。

二  被告は原告に対し金三万四〇五六円及び内金一万七〇二八円に対する昭和五三年六月一八日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告の本件その余の請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の、その余を被告の各負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  原告が、被告との間で、横手郵便局長が原告に対してなした昭和五三年六月九日付の一か月間俸給の月額の一〇分の一を減給するとの懲戒処分の付されない地位にあることを確認する。

2  被告は原告に対し金七四万八一三六円及び内金五三万一一〇八円に対する昭和五三年六月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  右2、3項につき仮執行宣言

二  被告

(本案前)

請求の趣旨1項の訴えを却下する。

(本案)

1 原告の本件請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は横手郵便局(以下「横手局」という)郵便課勤務の郵政事務官である。

2  (一) 横手局長関川良春(以下「関川局長」という)は、昭和五三年六月九日(以下昭和五三年に限り単に月日のみで表記する)付で原告に対し、国家公務員法八二条、人事院規則一二―〇に基づき、一か月間俸給の月額の一〇分の一を減給する懲戒処分(以下「本件処分」という)をなした。しかしてその処分理由は「原告は五月一九日から同月二一日までの三日間みだりに所定の勤務を欠き、更に同月二三日これが疎明を求めた横手局郵便課長に対し『バカケ』と暴言を浴びせたほか、同課長席の机上を右手拳で七、八回強く叩き、同課長の身体に手を触れたものであるが、原告の右行為は国家公務員法八二条各号に該当する。」というものである。

(二) 関川局長は、六月一七日、原告に支給すべき賃金から本件処分として金一万四〇八〇円及び右三日間の無断欠勤を理由として三日分の賃金に相当する一万七〇二八円をそれぞれ減額し(以下後者を「本件賃金カツト」という)、これの支給をしない。

3  しかしながら、本件処分は、処分債権者である関川局長において、後記のとおり処分理由がないことを知りながら科したものであつて、重大かつ明白な瑕疵があるから違法・無効であるし、また本件賃金カツトも、原告が適法に年休を取得したにもかかわらず、これを無断欠勤であるとしてなされたものであるから違法・無効である。

(一) 原告は五月一四日午前九時ころ関川局長に対し、所定の年次有給休暇請求書に同月一九日から同月二一日までの三日間を年次有給休暇(以下「年休」という)と指定する旨記載して提出し、もつて年休の時季指定をし、右三日間年休をとつた。

(二) ところが、横手局郵便課長土舘健次郎(以下「土舘課長」という)は、原告の年休時季指定に対し、同局における事業の正常な運営を妨げる場合に該当しないにもかかわらず、五月二〇日がいわゆる成田空港の開港予定日にあたり、その反対集会の開催が予想され、原告がこれに参加するものと考え、これを阻止すべく右三日間につき時季変更権を行使して出勤を命じた。

(三) 原告は右時季変更権が行使された後である五月一八日、横手局郵便課における労使慣行に基づき、同月二一日について、草薙一美との間で、草薙に指定されていた同日の週休と原告に指定されていた同月二二日の週休とを交換する旨の承諾を得、その旨服務担当の佐藤正三郎主事に申告して週休変更についての了解を得たが、土舘課長は、右措置を承認しなかつた。

(四) 土舘課長は五月二三日原告に対し、右三日間の欠務が無断欠勤であるとして疎明書の提出を求めた。これに対し、原告は土舘課長による時季変更権の行使は要件を欠き無効であるから年休は有効に取得されており、無断欠勤とはならないと主張して抗議した。

(五) このように、原告は適法・有効に三日間の年休を取つて欠務したものであつて、無断欠勤したわけではないし、また土舘課長に対する言動も、同課長が不当にも右欠務を無断欠勤扱いして疎明書の提出まで要求してきたので抗議したものであつて、非難されるべき行為ではない。原告の右各行為はいずれも国家公務員法八二条各号に該当するものではない。従つて原告の右各行為を理由とする本件処分は、処分事由がないのに科されたものであり、しかも処分にあたり関川局長は右の諸点を知つていたのであるから、その瑕疵は重大かつ明白であつて、結局本件処分は違法・無効である。また本件賃金カツトも同様違法・無効である。

4  (一) よつて、原告は被告に対し、本件処分によつて減額された一万四〇八〇円及び三日間の無断欠勤を理由として減額された本件賃金カツト分一万七〇二八円をそれぞれ未払賃金として請求する。

(二) また、原告は被告に対し、本件賃金カツト分一万七〇二八円と同額の附加金の支払をも求める。

5  (一) 関川局長は、原告による五月一九日から同月二一日まで三日間の年休時季指定に対し、時季変更権を行使する理由がなく、従つて土舘課長による右時季変更権の行使が無効であつて三日間の欠務が無断欠勤とはならないこと及びその後の抗議行動も正当なものであつたことを知りながら敢えて本件処分を科したものである。

(二) 関川局長は横手局の局長であり、その職務の遂行の一環として原告に対し本件処分を科した。

(三) 原告は関川局長の科した本件処分により甚大な精神的苦痛を被つたが、右損害を金銭に評価すると金五〇万円を下らない。また原告は本件処分による紛争を解決するために本件訴訟を提起し、その訴訟追行を弁護士に委任せざるを得なかつた。右弁護士費用は金二〇万円を下らない。

6  よつて、原告は被告との間で原告が本件処分の付されない地位にあることの確認を求めるとともに、被告に対し、未払賃金合計金三万一一〇八円、労働基準法一一四条に基づく本件賃金カツト分一万七〇二八円に同額の附加金、不法行為による損害賠償として金七〇万円及びうち右未払賃金合計金三万一一〇八円と慰謝料金五〇万円に対しては、本件処分がなされた後で賃金支払期日の翌日である六月一八日から右支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の本案前の抗弁とそれに対する原告の反論

1  被告

原告の請求の趣旨第一項は「関川局長の原告に対する六月九日付本件処分の付されない地位にあることを確認する。」というものであるが、右の法的地位が如何なるものであるか明確でないので、同請求は不適法というべきである。

すなわち、本件処分が無効であることを前提にして、これによつて被つた不利益を回復しようというのであれば、直接かつ具体的に当該利益が現存するものとして、その旨の現在の法律関係に基づく訴えとして出訴すべきところ、右請求の趣旨第一項の法的地位はあまりに抽象的すぎて明確性に欠けるというべきである。なお、現在の法律関係に基づく訴えとして出訴することができないか、あるいはそれによつても回復し得ない利益があるというのであれば、むしろ端的に本件処分の無効確認の訴えを提起すべきである。また仮に本件処分がされたのに、これのされなかつたことの確認を求めようというのであれば、これは事実の確認を求めるものである。

よつて、本件請求は右いずれの意味であつても不適法であるうえ、その文言からはいずれの意味かも確定し難いから、結局右訴えは不適法である。

2  原告

原告は本件処分の無効を理由に現在の法律関係の訴えとして、減額された賃金の支払を求めることができるが、これだけでは原告の権利の回復が不十分であるから、更に本件処分が無効であることを前提にして本件処分を付されない公務員の地位にあることの確認を求めるものである。なお右のとおり現在の法律関係の訴えとして公法上の当事者訴訟を提起することができるから、本件処分の無効確認の訴えは提起できない。

よつて本件訴えは適法である。

三  請求原因に対する認否等

1  請求原因1、2の(一)、(二)、3の(一)、(四)、5の(二)の各事実は認める。但し、3の(一)のうち年休取得の効果は争う。

五月二三日における原告の土舘課長に対する言動は抗議行動として正当化できる態様・程度のものではない。

2  請求原因3の冒頭の結論は争い、(二)の事実のうち土舘課長が時季変更権を行使したことは認めるがその余は否認し、(三)の事実のうち原告が所論の申入を佐藤主事にしたこと、土舘課長がこれを承認しなかつたことは認めるがその余は否認し、(五)は否認ないしは争い、4の(一)は争い、5の(一)の事実のうち関川局長が原告に対し本件処分を科したことは認めるがその余は否認ないしは争い、(三)は争う。

なお、土舘課長が時季変更権を行使したのは、後記のとおり、原告の年休を容認すると横手局の事業の正常な運営に支障がでるおそれがあつたためであり、原告がいわゆる成田空港開港阻止闘争に参加することを妨害する意図の下に行使したものではない。なるほど関川局長が原告に対し右闘争に参加しないよう指導警告したことはある。しかしながら、関川局長の右指導等は当時の社会的特殊事情を背景に郵政職員の服務規律の厳正化を図る措置の一環として行われたものであつて、土舘課長の時季変更権の行使とは無関係である。すなわち、成田空港開港阻止を呼号するいわゆる過激派集団は三月二六日空港管制塔に乱入し、これを破壊したほか、警備にあたる警察官などに火炎びんを投げつけるなど無法な攻撃を繰り返し、多数の逮捕者がでたが、その中に多数の公務員及び公共企業体職員がいたため、右機関の職員の服務規律に対して社会から厳しい非難を受け、その適正化、厳正化が強く要望されていた。右のような事態に対し、郵政省各機関においても内閣官房長官や郵政大臣の通達、指示に従い、服務規律の厳正化に努めていた。関川局長の原告に対する前記指導・監督も、服務監督権の発現としてなされたものである。

また、原告から申し入れのあつた週休変更を承認しなかつたのは、すでに時季変更権を行使した後であり、これを認める理由がなかつたこと、五月二一日には郵便物の滞留を解消するため同日を週休として指定されていた職員に対して休日労働を命じることも考慮していたことによる。

四  被告の主張

1  土舘課長は、原告からの五月一九ないし二一日の三日間の年休時季指定に対し、後記のとおり右年休を認めることは横手局における事業の正常な運営を妨げる場合にあたるとして時季変更権を行使した。それ故原告の年休時季指定による法的効果は消滅しており、原告は右三日間就労すべきであつた。にもかかわらず、原告は右三日間勤務しなかつたうえ、無断欠勤をしたことについて疎明書の提出を求めた土舘課長に対し、暴言を浴びせ、更に暴行に及んだ。原告の右各行為は国家公務員法九八条一項、一〇一条一項前段、九九条に違反し、同法八二条各号に該当する。そこで関川局長は同法八二条、人事院規則一二―〇に基づき、原告に対し本件処分を科すとともに、右無断欠勤を理由として本件賃金カツトを行つた。

右のとおりであるから、本件処分及び本件賃金カツトに何ら瑕疵はなく、従つて同各処分に瑕疵があつて違法・無効であることを前提とする本件各請求はいずれも理由がない。

2  時季変更権の行使とその効力

(一) 時季変更権の行使

五月一四日当時横手局郵便課において大型通常郵袋の滞留が相当数あつたところ同月二二日及び同月二四日から三日間のうちの二日間にわたり外務職員の、同月二四日から三日間にわたり内務職員の「昭和五三年度郵便物取扱数量調査」(以下「物数調査」という)の実施が予定されていた関係上特に滞留の解消が必要とされていた。それにもかかわらず同月一五日の時点ですでに同月一九ないし二一日の三日間については担務別・曜日別要員配置表によつて定められた要員配置数と同数かそれを下回つた要員配置予定となつていた。そして非常勤職員の雇傭数の拡大も困難であり、しかも時間外労働及び休日労働に関する協定(以下「三六協定」という)も未締結であつたので職員に超過勤務を命じることもできない事情にあつた。そこで土舘課長は、原告の年休時季指定について、横手局郵便課の業務に支障を来すおそれが甚だ強いものと判断し、同月一六日午後二時二五分ころ原告に対し右事情を説明して時季変更権の行使をしたものである。

(二) 横手局郵便課の業務とその運営

(1) 郵便課の業務

ア 横手局はいわゆる集配郵便局であり、横手局のほぼ全域の通常郵便物や小包郵便物の集配業務を行うほか、秋田県内に二つしかない分配局として全国から差し出され同県内の各集配郵便局で配達する郵便物を当該局別に区分、送付する業務を行う同県南部におけるターミナル局である。それ故横手局の業務遂行の状況は直ちに同県内の全集配郵便局に影響を与え、その影響はそのまま郵便利用者にも及ぶことになる。

イ 郵便課は横手局における右業務を担当し、そのうち引受、差立、配達区分、分配等の局内作業は内務職員が受け持ち、郵便物の取り集めや配達等の局外作業は外務職員が受け持つている。

(2) 五月当時における郵便課の職員構成は次のとおりである。

内務職員 課長、副課長、課長代理各一名、主事二名、主任六名、一般職員二七名の合計三八名

外務職員 主事一名、主任四名、一般職員一七名の合計二二名

(3) 郵便課内務職員の勤務については、同課長が四週間を単位として勤務日における各職員別の勤務の種類や週休日を定めた勤務指定表を作成し、実施日の一週間前までに周知させることになつており、また右勤務の種類に応じた分担業務についても各職員別に分担業務を指定した二週間単位の担務指定表を作成し、実施日の前日に通知することになつていた。

五月当時における郵便課内務職員の勤務の種類、分担業務の内容、担務別・曜日別要員配置数は別表(一)、(二)のとおりである。

(三) 事業の正常な運営を妨げる事情

(1) 横手局郵便課における正常な業務運営等

ア 郵便課では、郵袋が未開披であるとか、開披されても郵便物が郵袋に収納されたままであるとかの未処理状態が生じると、郵便物を的確、迅速に名宛人に配達するという郵便業務の運営に支障が生じるため、同課長において、平素から郵便物の滞留を出さないよう職員に強く求めるとともに、事情の許す範囲内で職員の超過勤務や非常勤職員の雇傭によつてその解消に努めてきたが、様々な事情から未処理郵袋を翌日に繰り越すこともあつた。しかしながら未処理郵袋の累積は郵便業務にとつて好ましくないから、横手局では未処理郵袋が二〇〇袋程度以上となつた場合には事態を重視し、その都度非常勤職員の雇傭や職員の超過勤務などの措置を強化することによつて可及的にその解消を図つてきた。

イ ところで、五月当時における大型通常郵袋の未処理状況は次のとおりであつた。

五月一二日 四二〇袋

同月一三日 四七〇袋

同月一四日 六七五袋

同月一五日 六二二袋

右未処理郵袋の累積数は一応の目安である二〇〇袋を大幅に上回り、その間横手局では非常勤職員を連日二名、同月一四日からは四名も雇傭してこれらの処理にあたらせてきたが、これを減少させることができず、このような状況はなお続くことが予想された。

ウ そのうえ郵便課では東北郵政局長の命により、五月二二日及び同月二四日からの三日間のうち二日間にわたり外務関係の、同月二四日から三日間にわたり内務関係の物数調査を実施することを予定していた。この物数調査は、郵政局管内の関係郵便局が年に一回時期を同じくして一斉に当該局の職員をして特定日の一定時刻、特定時間帯における職員の郵便物処理数を取扱郵便物種別に実数で計測させ、その結果を集約するという作業であり、その調査の目的は各郵便局の郵便物取扱量の把握、要員算定の資料の収集である。そして右調査により正確な結果を得るためには調査開始に先立ち、手持ちの滞留郵便物を一掃しこれをゼロの状態にしておくことが必要であり、現にそれまでの横手局における実施例では右の状態で実施されてきた。従つて郵便課長としては、遅くとも五月二一日までには未処理郵袋の滞留を解消しておくことが特に強く要請されていた。

(2) ところで、原告が年休の時季指定をした五月一四日から土舘課長が時季変更権を行使した同月一六日にかけてのころは、横手局と全逓信労働組合(以下「全逓」という)横手支部(以下「横手支部」という)との間において、未だ三六協定の締結がされていなかつたため、土舘課長において職員に超過勤務を命じることができず、また非常勤職員の雇傭についても種々の制約があつて思うにまかせず、未処理郵袋の解消がされないまま持ち越され、原告が年休として指定した五月一九ないし二一日ころまでの間は、より一層郵便物の処理に停滞を生じる事態も予測された。

(3) 五月一九ないし二一日における要員配置状況等

ア 土舘課長が時季変更権を行使した五月一六日時点における同月一六ないし二一日の郵便課内務職員の勤務の種類及び担務別要員配置状況は別表(三)のとおりである。

イ そして原告の五月一九ないし二一日の三日間の勤務の種類及び担務は次のとおりであつた。

五月一九日 日勤一 通常

同月二〇日 中勤二 通常

同月二一日 日勤三 小包

ウ 五月一六日時点で予定されていた同月一九ないし二一日の三日間の要員配置状況を前記別表(二)の標準的な担務別・曜日別要員配置数と比較してみると、原告が指定されていた同月一九日の通常日勤一は同数であるが同月二〇日の通常中勤二は一名、同月二一日の小包日勤三は二名それぞれ少ない配置となつており、員数的に金裕のない状態であつた。

エ 原告の本件年休請求を承認した場合五月一九日の通常日勤一の勤務者はゼロ、同月二〇日の通常中勤二のそれは四名、同月二一日の小包日勤三のそれは一名とそれぞれなる。そして、同月一九日の通常係の業務は、午前七時三〇分から中勤一の始業時である午前九時五七分までの間日勤七の職員一名の稼働を考慮してもその処理能力において半減し、著しく遅延するばかりか午前九時五七分以降午後三時三三分までの間の処理も他職員の労働過重を考慮に入れても全体として相当減殺されざるを得ない。また同月二〇日の通常係の業務についても同様である。更に同月二一日の小包係の業務は担当職員が一名となつてその処理能力が半減し、他に補充を求めざるを得ないのでその面の支障も考えられた。

(4) 郵便物数の波動性からみて、五月一九ないし二一日にかけて大量の郵便物が到着するおそれも否定し得なかつた。

(四) 時季変更権行使の正当性

以上のとおりの諸事情、すなわち横手局の郵便業務の重要性、原告が右業務を担当していること、当時未処理郵袋が相当数累積していたところ、三六協定が未締結で超過勤務を命ずることができず、臨時職員の雇傭も思うにまかせなかつたことからその滞留の解消が困難と思われたこと、五月二二日以降物数調査が予定されており、遅くとも同月二一日までにその滞留を解消することが強く要請されていたこと、原告から年休時季指定がなされた同月一四日の時点において、その指定にかかる三日間の欠務許容人員が限度に達しており、代行者の配置ができない状況にあつたこと、従前から郵便課においては、業務の繁閑を考慮したうえでの欠務許容限度を越える場合は業務に支障が生ずるものとして、やむを得ない事情のある者のほかは時季変更権を行使してきたこと等を考慮すると、原告の年休を認めるときは横手局における事業の正常な運営を妨げる場合にあたることが客観的にも明らかである。土舘課長は右の諸事情を慎重に検討し、もはや五月一六日の時点で予定されていた同月一九ないし二一日の三日間における勤務予定者数を減らすことは許されず、仮にこれを許すときは事業の正常な運営に支障を及ぼすおそれが甚だ強いものと判断して時季変更権の行使に及んだものであるから、素より正当である。

(五) なお現実にも原告が三日間勤務しなかつたことが一因となつて、五月一九日に三〇六袋、同月二〇日に五一〇袋、同月二一日に六八一袋の大型通常郵袋の滞留が生じ、その処理が二日程遅れたのであつて、郵便課の業務に支障が生じた。

よつて、土舘課長による本件時季変更権の行使は、労働基準法三九条三項但書に基づく正当なものであり、原告の本件年休時季指定の法的効果は失効した。

3  信義則違反

(一) 原告は昭和五三年度の年度当初において、二〇日と一時間分の年休の権利を有していたところ、同年度中に本件五月一九ないし二一日の三日間の年休のほかに更に二〇日間の年休時季指定をして同権利を行使した。仮に原告が主張するように右三日間の年休時季指定が有効だとすると、原告の年休は同年度末において合計二三日となり、法律上認められた二〇日の年休の権利を三日も越えて行使したことになる。このように二〇日の年休の権利をすべて行使しておきながら、更に右三日間の年休時季指定の有効を主張することは、労働者が法律上認められた年休の権利以上の権利を行使することになり、信義則に反し、許されないというべきである。

(二) このように原告は昭和五三年度中において法律上認められた年休の権利を三日間超過して行使し、就労義務を免れているから、本件三日間の年休が有効であつたことを前提にしてその未払賃金一万七〇二八円の支払を求めることは失当である。

4  暴言、暴行の不当性

(一) 原告は五月二三日午後一時過ころ土舘課長から同月一九ないし二一日の三日間の欠勤について疎明書の提出を求められるや憤慨し、大声で「ふざけるんでない」「ばかけ」などと暴言を浴びせたうえ右手拳で同課長の事務机の上を何回も強打し、更に右机上にのせていた同課長の左肘を右手で払い上げる暴行を加えた。

(二) 原告の右暴言、暴行はその勤務時間中に他の職員が執務中であつた郵便課の事務室内でこれらの者が知り得る状態下で行われたものであり、職場秩序を乱し、国家公務員としての職責にも反する行為であるから許されない。そのうえ原告は右言動のあとも同課長に陳謝すらしていない。

5  結論

(一) 以上のとおりであつて、原告の本件年休時季指定はいずれにせよその法的効果が生じないから、本件三日間の欠務は正当な理由を欠き、国家公務員法九八条一項、一〇一条一項前段、九九条に違反し、同法八二条各号に該当する。

また原告の土舘課長に対する暴言、暴行は同法九九条に違反し、同法八二条一、三号に該当する。

(二) 国家公務員につき、国家公務員法上の懲戒理由がある場合に、同人に対して処分をするか否か、いかなる処分をするかは一般に懲戒権者の裁量に委ねられている。従つて、懲戒権者が裁量権の行使として処分を行つた場合には、その処分が社会観念上著しく妥当を欠くものであつて、裁量権を付与された目的を逸脱し、これを濫用したと認められない限り、その裁量の範囲内にあるものとして違法とならないものというべきである。

しかして、本件処分は、前記処分理由に基づくところ、懲戒処分のうち実害を受けるものとしては最も軽微な減給処分(一か月間俸給の月額の一〇分の一)であり、原告の前記各行為についての動機、目的、性質、態様、結果、影響等の諸事情を勘案すると、これが社会観念上著しく妥当を欠くものとはいえないから、もとより前記裁量の範囲内にあることは明らかである。

(三) よつて本件処分及び本件賃金カツトのいずれにも何ら瑕疵がなく、適法有効であるから同各処分に瑕疵があつて違法無効であることを前提とする本件各請求はいずれも理由がない。

五  被告の主張に対する認否等

1  被告の主張1の事実のうち、土舘課長が時季変更権を行使したこと、原告が三日間欠勤したこと、疎明を求めた同課長に抗議したこと、関川局長が本件処分及び本件賃金カツトをなしたことは認めるがその余は否認ないし争う。

原告が土舘課長に抗議したのは、原告において年休を取得して欠務したのにこれを無断欠勤扱いしたからであつて、非難されるべき行為ではない。

2  被告の主張2について

(一) 同2の(一)の事実のうち、土舘課長が時季変更権を行使したことは認めるが、その判断の前提事実及び判断内容は否認ないしは争う。

(二) 同2の(二)の(1)のイ、(2)の各事実は認め、(1)のアのうち結論を除く事実関係は認め、(3)の事実のうち勤務指定表や担務指定表を郵便課長が作成していたことは否認し、その余は知らない。

勤務指定表や担務指定表は五月当時佐藤正三郎主事が作成していた。

(三) (1) 同2の(三)の(1)のアの事実のうち未処理郵袋が二〇〇程度以上になつた場合に特別強化措置をとつていたことは知らないがその余は認め、イの事実のうち未処理郵袋の滞留状況は認め、ウの事実のうち物数調査が予定されていたことは知らず、物数調査の前に郵袋の滞留をゼロの状態にしておく必要があつたことは否認する。

原告が年休の時季指定をした五月一四日当時の大型通常郵袋の滞留状況は平素のそれと大差なく異常事態というわけではない。

物数調査は、本来、勤務の内容とはなつていないため三六協定の締結なしには実施し得ないところ、時季変更権の行使された五月一六日当時において未だ同協定が締結されていなかつたし、また仮に同日の時点において同月二〇日ころまでに同協定を締結することが見込まれたとしても、物数調査の前に三日間にわたる業務研究会を行うことが不可欠であつたから、いずれにせよ同月二二日からの実施は不可能であることが明らかであつた。なお物数調査の実施前に滞留郵袋をゼロの状態にしておくことは必ずしも必要ではなく、現に昭和五四年一〇月一七日から一九日にかけて実施された同調査の前には連日三九〇ないし八二〇袋の郵袋の滞留があつた。また右物数調査が実施される前の一週間における年休時季指定の状況は全日年休が延べ一四人、時間年休が延べ二〇時間となつており、いずれも時季変更権の行使はされなかつた。このように横手局では、物数調査が実施される場合であつても、職員において年休の時季指定を差し控えるということはなく、郵便課長において時季変更権を行使するということもなかつた。

(原告の右主張に対する被告の認否と反論)

昭和五四年一〇月に実施された物数調査の前に所論の郵袋の滞留があつたこと、年休時季指定の状況、これに対し時季変更権が行使されなかつたことは認める。

当時三六協定が締結されていたものの、いわゆる反マル生闘争とこれに関連する紛争の影響により、横手支部においても時間外労働の拒否等を内容とする戦術がとられ、そのため郵便業務の正常な運行が回復されず、郵便物の滞留を解消できないまま東北郵政局の指示の下に物数調査を実施したものであつて、右状況は同年限りの例外であつた。

(2) 同2の(三)の(2)の事実のうち五月一六日当時三六協定が締結されていなかつたことは認めるが、その余は否認ないし争う。

(3) 同2の(三)の(3)のアの事実は知らず、イの事実は認め、ウの事実のうち五月一六日時点で予定されていた同月一九ないし二一日の要員配置状況が員数的に余裕のない状態であつたことは否認し、エは否認ないし争う。

原告が年休として時季指定した五月一九ないし二一日における欠務者数と同数かあるいはそれ以上の欠務者のいた日は五月中だけでも多数その例があつた。例えば五月一九日の欠務者は原告を含めて一一名であるが、これと同数あるいはそれ以上の欠務者がいた日は同月八日、一〇日、一二日、一三日、一五日、一六日、二二日、二三日、二六日と極めて多く、同月二〇日の欠務者は原告を含めて一二名であるが、これと同数あるいはそれ以上の欠務者がいた日は同月八日、一三日、一五日、二三日の四日があり、同月二一日の欠務者は原告を含めて一六名であるが、他に一七名の欠務者のいた同月一四日の例もあつた。

また原告が欠務しても五月一九日と二一日においてはその「後補充」の態勢が整つていた。すなわち同月一九日の原告の指定勤務と担務は通常日勤一であつたが、ほぼ同様の勤務と担務の指定を受けていた通常日勤七の佐藤徳蔵がいたほかその取扱う高等信処理の繁忙時間帯を含む午前七時三〇分から同八時二〇分までの間においては、小包分配日勤一の奥山利平、配達発着日勤一の柴田衛がそれぞれ同処理にあたることになつており、それでも不足のときには主事日勤三の小林文雄や同日勤一の善村正一らが「後補充」できる態勢になつていた。なお、このようにもつぱら高等信処理にあたる職員のうち二名と配達発着日勤一の計三名の職員で同時間帯の高等信処理にあたつた日は五月中だけでも一九日以外に一三日、一五日、二三日、二四日とあつて、通常の事態である。高等信処理の第二の繁忙時間帯である午前一〇時四五分から同一一時三〇分までの間においては、通常中勤二の職員がおり同処理に支障は生じない。原告の通常日勤一の担務は午後一時から同三時三三分まで大型通常処理にあたることになつていたからその欠務による影響は多少あるものの午後二時から五分間、同三時から一五分の各休息時間を差し引くと正味二時間一〇分であつて、大きな滞留が発生することはあり得ない。次に五月二一日の原告の指定勤務と担務は小包日勤三であつたが、同様の指定を受けていた伊藤博志がいたほか当小包日勤三の小松利孝、配達発着日勤一の佐藤栄悦もおり、更に小包日勤三と同様の業務を担当する臨時職員四名もいたので、原告の欠務により小包処理に支障が生じるおそれはなかつた。

郵便課の内務職員はあらゆる担務を経験するので相互に勤務を代替することができ、土舘課長らにおいて代替勤務者を探そうとすれば容易にこれを探し得た。

(4) 同2の(三)の(4)は争う。

(四) 同2の(四)は否認ないし争う。

原告の年休を認めても横手局の事業の正常な運営を妨げるおそれはなく、土舘課長もそのように認識していた。そのことは次の事実から明らかである。すなわち、原告に対して時季変更権の行使された五月一六日以降に同月一九ないし二一日の三日間について年休や組合休暇を指定ないしは請求し、これを認められた職員が相当数存在するのである。まず五月一九日については、佐藤司郎が同月一七日に午後三時から二時間、奥山利平が同月一九日の当日朝に午後〇時三三分から二時間それぞれ年休の時季指定をし、次いで同月二〇日については、草薙一美が同月一六日に午後四時から二時間、加藤良一が同日に全一日、柴田衛が同月一七日に全一日それぞれ年休の時季指定をしたほか石井正志が同月一八日に全一日を組合休暇として請求し、更に同月二一日については高橋誠一が二時間の年休時季指定をした。そして、土舘課長は右年休の時季指定に対して時季変更権を行使せず、また関川局長は組合休暇の請求に対してこれを承認した。なお右の年休時季指定者らは、指定をする際その理由を土舘課長らに話さなかつた。

(原告の右主張に対する被告の認否と反論)

土舘課長が事業に支障のないことを認識していたこと、年休時季指定者がその理由を話さなかつたことは否認し、その余の事実は認める。

土舘課長が時間年休を認めたのはいずれも二ないし三時間の短時間であつて年休の前後における本人の精勤や他の職員の援助によりその欠務の補充が可能であると判断したからであり、また加藤良一や柴田衛の全一日の年休を認めたのは、これを認めることによつて郵便課の業務に支障が生じるおそれがあると考えたもののそれぞれ本人から家族旅行やお見合などで年休が必要であるとの申出があり、その理由に鑑みると時季変更権を行使することが社会通念上妥当でないし、原告と異なり一日だけであり、欠務の影響が少ないと考えたためである。石井正志に組合休暇を認めることも郵便課の業務に支障を生じるおそれがあつたが、組合業務の重要性を考慮し、また当時膠着状態にあつた三六協定の窓口折衝の進展に好影響を及ぼすことを期待して付与したものである。

(五) 同2の(五)のうち大型通常郵袋の滞留原因に原告の欠務があつたとの主張は争う。

3  被告の主張3の(一)、(二)の各事実は認めるがその主張は争う。

すなわち、原告は本件三日間の年休取得の効果について争いがあることを知つてはいたが、その後年休時季指定をする際にこれを除いて指定すべきか否かについて熟慮しなかつたため結果的に二三日間の年休を指定したというにすぎない。横手局長の方こそ右争いのあることを認識しながら原告の年休時季指定を容認してきたのである。右事情によれば、今更これを持ち出して原告の年休時季指定に関する主張が信義則に反するということは当らない。

4  被告の主張4の(一)の事実は土舘課長の肘を払い上げたことを除き概ね認め、(二)は争う。

5  被告の主張5の結論は争う。

六  原告の反論

1  指定された日に年休を認めることにより事業上の支障が生じるおそれがある場合でも、時季変更権者は勤務変更をする等の方法により代替勤務者の確保に努めるべきであり、そのような努力にもかかわらず代替勤務者を確保できない場合に初めて時季変更権を行使し得るのである。そして本件の場合には前記のとおり郵便課内務職員相互間に代替性があることや現に五月一八日に草薙一美が同月二一日に指定されていた自己の週休を原告の同月二二日の週休と交換することを了解していることなどからみて代替勤務者の確保も可能であつた。しかるに、土舘課長は原告に替わる勤務者を確保する努力をせず、本件時季変更権の行使に及んだものであるから、たとい事業の正常な運営を妨げる事情が存したとしても、その行使が正当であるとはいえず、違法無効である。

2  五月二〇日の時点で同月二二日から予定されていた物数調査の延期が決定されたのであるから、同月二一日に原告を勤務させるべき必要性がなくなつた。従つて時季変更権を行使した事由が消滅したのであるから、その行使後といえどもなお職員が年休をとる旨の意思表示をしている場合にはその行使の効力が失効するというべきである。

第三証拠関係<省略>

理由

第一地位確認の訴えの適否

原告は本件処分の無効を前提として同処分の付されない地位にあることの確認を公法上の当事者訴訟として求めている。原告が郵政事務官の地位にあることという請求原因1の事実は当事者間に争いがないから、確認を求める所論の法的地位の中にこれは含まれていないと解される。そうするとそれを除いた法的地位とは何かという点が問題となるが、原告の右の点についての主張は極めて曖昧で明確性に欠けている。それ故訴訟物の特定を欠くものとして右訴えは不適法というべきである。また右訴えについて形式的には当事者訴訟でありながら実質的には本件処分の無効確認を求める抗告訴訟であると解する余地があり(原告は本件処分の無効確認の訴えが認められないとの前提に立つて本件当事者訴訟を提起したというのであるから、仮に無効確認の訴えが認められるのであれば、それでもなおその訴えを提起する意思を有しないとは考えられない。)、かつ、本件の場合原告が本件処分によつて将来にわたり被る可能性のある不利益を除去するためには、本件処分の無効を前提とする現在の具体的な法律関係についての訴えに還元し尽せない部分があると考えられるので、同処分そのものの無効確認を求めることができるといえるものの、行政事件訴訟法三八条一項で準用される同法一一条一項によれば、右の無効確認の訴えは本件処分をなした行政庁である横手局長を被告としなければならないから、国を被告とする右訴えは、やはり不適法といわざるを得ない。

よつて、いずれにせよ本件各請求のうち地位確認を求める請求の趣旨第一項の訴えは不適法であつて却下を免れない。

第二未払賃金請求権について

一  未払賃金請求権に関する請求原因1、2の(一)、(二)、3の(一)、(四)の各事実、同3の(二)の事実のうち土舘課長が時季変更権を行使したこと、(三)の事実のうち原告が佐藤主事に週休変更を申し入れたが、土舘課長がこれを認めなかつたことはいずれも当事者間に争いがない(但し、3の(一)のうち年休取得の効果を除く)。また右請求権を争う被告の主張1のうち土舘課長が時季変更権を行使したこと、原告が年休として指定した三日間欠勤したこと、疎明を求めた同課長に対し原告が抗議したこと、関川局長が本件処分及び本件賃金カツトをなしたことと、同2の(一)の事実のうち土舘課長が時季変更権を行使したこと、(二)の(1)のイ、(2)の各事実、(1)のアのうち事実関係部分1(三)の(1)のアのうち未処理郵袋が二〇〇袋程度以上になつた場合特別強化措置をとつたことを除くその余の事実、イの事実のうち未処理郵袋の累積数、(2)の事実のうち五月一六日当時三六協定が未締結であつたこと、(3)のイの事実、同3の(一)、(二)の各事実関係部分、同4の(一)のうち土舘課長の肘を払い上げたことを除くその余のおおよその事実も当事者に争いがない。更に右請求権に関する原告の主張事実のうち昭和五四年一〇月に実施された物数調査の前における郵袋の滞留状況、同調査の前における年休時季指定の状況とこれに対し横手局側で時季変更権を行使しなかつたこと、原告に対して時季変更権が行使された五月一六日の後に同月一九ないし二一日を年休に時季指定した者や組合休暇として請求した者がいたこと、そしてこれに対し時季変更権が行使されず、組合休暇も承認されたこともいずれも当事者間に争いがない。

ところで、原告は土舘課長による本件時季変更権の行使が無効であり、従つて原告において有効に本件三日間の年休を取得したことになるから、これを無断欠勤であるとしてなされた本件賃金カツトは理由がなく、また右無断欠勤を主たる理由としてなされた本件処分には重大明白な瑕疵があつて違法無効であるので、右処分としてなされた賃金の不払いも理由がないとして、被告に対し右各未払賃金を請求できる旨主張している。これに対し、被告は原告の右主張を全面的に争い右各未払賃金を支払う義務はない旨主張する。

そこで、以下においては、まず主たる争点である土舘課長による時季変更権の行使の効力等について検討を加え、次いでこれを踏まえて本件処分及び本件賃金カツトの効力について判断することとする。

二  時季変更権行使の効力

1  事業の正常な運営

(一) 前記争いのない事実に成立に争いのない乙第一ないし第四号証、証人土舘健次郎の証言により真正に成立したと認められる乙第九号証、第一一号証、証人石井正志、同加藤良一、同草薙一美、同菅原賢次郎、同土舘健次郎の各証言(以下各証人の証言について例えば「石井証言」のように略記する)、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すると次の事実を認めることができる。

(1) 横手局はいわゆる集配郵便局であり、横手市のほぼ全域の通常郵便物や小包郵便物の集配業務を行うほか、秋田県内に二つしかない分配局の一つとして(もう一つは秋田局)全国から差出され同県内の各集配郵便局で配達する郵便物を当該局別に区分し送付する業務をも行う同県南部におけるターミナル局である。それ故横手局の業務遂行の状況如何は同局管内だけでなく、広く県内の全集配郵便局の業務に影響を与え、最終的には郵便利用者にもその影響が及ぶことになる。そして横手局においては、郵便課が右業務を職掌し、そのうち引受、差立、配達区分、分配等の局内作業を同課内務職員が担当し、郵便物の取り集めや配達等の局外作業を同課外務職員が担当している。

(2) 郵便課では、いわゆる大型通常郵袋が未開披であるとか、開披されても郵便物が郵袋に収納されたままであるとかの未処理状態が生じると、郵便物を的確迅速に名宛人に配達するという郵便業務の運営に支障が生じるため、その処理に尽力してきたが、未処理郵袋をそのまま翌日に繰り越すこともままあつた。これに対し、手紙や葉書類のいわゆる高等信と呼ばれる郵便物はその重要性に鑑み最優先処理され、また小包は滞留が生じると広い空間を占めて局内作業に多大の支障が出るため即日処理の方針が貫徹され、未処理のまま翌日に繰り越されることはなかつた。従つてこれら郵便物の処理にあたる担務者に支障がある場合には、その担務に影響が出ないように後補充を考慮するなどして対処してきたものであり、その結果後補充者の担務する大型通常などの処理に影響がしわ寄せされ、結局未処理郵便物といえば大型通常にほぼ限られていた。横手局では未処理郵袋が二〇〇袋程度以上となつた場合には事態を重視して、非常勤職員の雇傭や職員に超過勤務を命じるなどの強化措置をとつて可及的にその解消を図つてきた。ちなみに、四月一日から九月三〇日にかけての大型通常郵袋の滞留状況は別表(四)のとおりであり、これをとりまとめると別表(五)のとおりとなる。

(3) 土舘課長が時季変更権を行使した五月一六日当時、横手局では恒例の物数調査を外務関係については同月二二日あるいは同月二九日の一日と同月二四日から三日間のうち二日間、内務関係については同月二四日から三日間実施する予定でいた。この物数調査は毎年五月の第三水曜日から三日間をかけて実施されるもので、全国的な規模で各郵便局が一斉に局職員をして特定日の特定時刻の特定時間帯における職員の郵便物処理数を取扱郵便物種別に実数で計測させ、その結果を集約するという作業であり、その調査目的は各郵便局の郵便物取扱数量を把握し、要員算定の資料を収集するものであること、そして右調査により正確な結果を得るためには調査開始に先立ち、手持ちの滞留郵便物を一掃し、これを解消しておくことが必要であり、東北郵便局からもその旨指示されていた。現にそれまでの横手局における物数調査の際には、全て右の状態で実施されていた。従つて土舘課長としては遅くとも同月二一日までには郵便物の滞留を解消しておくことが必要であつた。

(二) 原告は、五月一六日の時点で、物数調査の際には必ず締結することとされていた三六協定が未だ締結されていなかつたことや、また仮に同月二〇日ころまでにその締結されることが見込まれたとしても、同調査の実施前に少なくとも三日間をかけて業務研究会をする必要があつたので、たといそのころまでに同協定が締結されたとしても同月二二日までに業務研究会を行うことができないこと、更に、物数調査は少なくとも県内の各郵便局が一斉にこれを実施しなければならないところ、横手局のほかは三六協定の締結の目処が殆んど立つておらず、土舘課長らもこのことを知つていたことなどからみて、同月二二日から物数調査を実施することは不可能であり、これが延期されることが明らかであり、土舘課長もその認識があつた旨主張する。

そして、前記争いのない事実と前記各証拠によれば、確かに所論のとおり物数調査及びその前に行われる業務研究会が超過勤務要素とされ、また同調査の前に郵袋の滞留を解消しなければならなかつたことから同調査を三六協定の締結なしに実施することは事実上できず、それまでに同協定が締結されないままに実施されたことはなかつたこと、五月一六日当時同協定は締結されていなかつたこと、業務研究会は外務職員に対しては一日、内務職員に対しては三日をかけて行う必要があつたこと、同研究会は普通日曜日には行われていなかつたこと、同月二一日が日曜日であつたため、同月二〇日には業務研究会を開始する必要があり、そのためには遅くとも同日までに三六協定の締結がなされなければならなかつたこと、同協定の締結のための団体交渉の実施要領について同月一四日から横手局当局と横手支部との間で窓口折衝が開始されたが、当時労使間で懸案となつていた団交に関する新ルールの適用をめぐつて相互に駆け引きが行われ、団交の実施要領等についてなかなか合意に至らず、同月一六日においても午後二時ころからその折衝が続けられていたことを認めることができる。但し、県内の他局において三六協定の締結の目処が立つていなかつたことを土舘課長らが知つていたことを認めるに足る証拠はない。

しかしながら、土舘証言によれば、同人が五月一六日時点において同月二二日からの物数調査を予定していたことは明らかであるうえ、前記乙第九号証、土舘、菅原の各証言によれば同月一九日になつて初めて東北郵政局から同月二二日からの物数調査を延期するようにとの通知があつたこと、同月二二日朝土舘課長が東北郵政局に対し、その週に予定していた物数調査を実施することが困難である旨連絡したことが認められるのであつて、これによれば、少なくとも同月一六日の時点において土舘課長が同月二二日からの物数調査を予定どおり実施する心算でいたものと思われる(なお、同月一九日の東北郵政局からの延期の通知は同月二二日に実施予定であつた外務職員による物数調査についてのものであり、同月二四日からの外務・内務の各職員による物数調査についてのものではなかつたと解されなくもないから、右事実が、同月二二日朝に土舘課長のなした東北郵政局に対する連絡の事実と矛盾するとは必ずしもいえないと思われる)。それのみならず、前記乙第一ないし第四号証、石井、土舘、菅原の各証言によれば、全逓中央本部によつて三六協定締結の判断権を委譲されていた全逓東北地方本部(以下「東北地本」という)から三六協定の締結を保留するよう指示があつたが、五月一一日に至り、右保留を解除し、速やかに同協定を締結するようにとの指示がなされたこと、同指示を受けて横手支部においても前記のとおり同月一四日から窓口折衝を開始したこと、同月一六日の時点で同月二〇日までにはなお相当の日数があり窓口折衝を重ねられる見込みであつたこと、横手支部書記長石井も同月二二日から物数調査が実施されることを知つており、三六協定締結のための団交を早く行い、同協定を早期に締結する意向であつたこと、窓口折衝の横手局側の担当者であつた菅原賢次郎庶務会計課長(以下「菅原課長」という)も同月一六日時点において、横手支部の対応からみて新たな問題提起がない限り、遅くとも同月二〇日までには同協定を締結できるとの見通しを持つており、新ルール適用をめぐる労使双方の駆け引きもさほど締結を遅延させる事情とは考えていなかつたこと、従前窓口折衝が開始されると速やかに団交がもたれ、早期に同協定が締結されるというのが実情であつたことなども認められ、これによれば、同月一六日の時点で、遅くとも同月二〇日ころまでには三六協定が締結される見込があつたものといえ、従つて、原告所論の事実を考慮に入れても、同月二二日から物数調査を実施することは三六協定との関係で不可能であつたとは認められない。

また原告は、物数調査の前に滞留を解消しておく必要性がありこれまでの調査もそのようにして実施されていたとの被告の主張は、昭和五四年の物数調査の際相当量の大型通常郵袋の滞留を抱えたまま実施されたことからみても、事実に反するという。なるほど原告の所論の事実は当事者間に争いがないが、土舘証言及び弁論の全趣旨によれば、右状態で実施されたのは同年限りの特殊事情によるものであり、それ以外は滞留をほぼ解消したうえで実施されてきたことを認めることができるから、右事実をもつて前記協定が左右されるものではない。してみれば現実に物数調査の実施は不可能であつたとの原告の主張は採用できない。

(三) ところで、時季変更権の要件である「事業の正常な運営を妨げる場合」にいう事業とは、当該職員の担当する個々の担務そのものを指すのではなく、その属する事業場における特定の業務の総体を指すものと解されるところ、これを本件についてみれば、横手局における郵便業務の総体を意味することになる。もつとも、右郵便業務の中に占める郵便課内務職員の行う業務の重要性に鑑みると、内務業務に支障が生じると、これが横手局の郵便業務全体の支障につながる関係があるものといえる。

その反面内務職員が休暇をとることが、内務業務には支障を生じさせず、直接外務業務の正常な運営を妨げるという事情は本件全証拠によつても認められないので、判断に当つては、内務業務に対する支障の有無について検討をすれば足りることになる。

そして前記認定事実に基づき、横手局郵便課内務における正常な業務の運営とは何かについて検討するに、一般には大型通常郵袋が翌日に持ち越されることなく即日完全に処理されてしまう状態かあるいは仮に滞留が生じたとしてもそれが平常時における未処理郵袋数と同程度である状態を指すと解すべきであるが、別表(四)のとおり四月から九月にかけての大型通常郵袋の滞留状況に照らすと、むしろ滞留のあることが常態化しており、しかも別表(五)によれば、その程度も横手局の方で一応の目安としていたという二〇〇袋程度をはるかに越えた日が相当多かつたといえるのであるから、本件においては、正常な業務の運営を示す基準として、大型通常郵袋が即日完全に処理されてしまう状態を用いることは相当でなく、少なくとも二〇〇袋程度の滞留が出ることは正常な業務の運営の範囲内にとどまつているものというべきであり、従つて、年休を認めることにより右程度の大型通常郵袋の滞留が生じるおそれがあつたとしても、直ちに横手局における事業の正常な運営を妨げる場合にあたるものではないと解すべきである。もつとも前記認定事実によれば、横手局では五月二二日から数日間にわたつて物数調査を予定しており、これが横手局の正規の業務の一環として実施されることが窺え、しかもその実施前に手持の大型通常郵袋等の滞留を解消しておくことが要請され、現にそれまではそのようにして実施されてきたというのであるから、原告が年休として時季指定した同月一九ないし二一日ころ、殊に同月二二日においては、前記の平素における基準とは異なり、滞留の解消を図ることが必要とされ、それが横手局における事業の正常な運営状態を示すものといちおういうべきである。

2  事業の正常な運営を妨げる場合に該当するか否かを判断するにあたり考慮すべき事情

(一) 横手局で取扱う郵便物の数量が、五月一六日から同月一九ないし二一日にかけて増加することを窺わせる事情は本件全証拠によつても見出せないところ、石井、土舘の各証言及び弁論の全趣旨により認められる次の事実、すなわち、郵便物の取扱数量にはいわゆる波動性がみられ、その増減の予測は必ずしも容易でないが、横手局では月初めに「現代農業」という雑誌が郵便物(大型通常)として大量に到着するという現象があるだけでそのほかに定まつた郵便物の増加要因は見受けられないこと、そして五月中旬ころには右「現代農業」の処理も終つていたこと、五月は一年のうちで平均的な郵便物量を扱う月であること等を勘案すると、むしろ、増加する可能性は少なかつたというべきである。

(二) 右事情に加え、前記のとおり原告が年休の時季指定をした五月一四日当時連日相当量の大型通常郵袋の滞留があり、それが横手局の一応の目安としていた二〇〇袋をかなり上回るものであつたというものの、平素の滞留量と対比してみると何ら異常と目すべき程の状態ではなかつたうえ、後記のとおり同月一六日時点において予定されていた同月一六ないし一八日の要員配置数が標準的な要員配置数とほぼ同数であつたことを勘案すると、本件においては、同月一六日から同月一九ないし二一日にかけて、郵袋の滞留が増大することを窺わせる格別の事情を本件全証拠によつても見出し得ないので、これまた、その増大の可能性は少なかつたものというべきである。

それどころか、前記のとおり五月一六日時点において遅くとも同月二〇日ころまでには三六協定の締結される見込みがあり、土舘課長らもその旨予測して物数調査をいちおう同月二二日から実施する予定でいたこと、そして、土舘、菅原の各証言によれば、物数調査の際に三六協定が締結されるのは、物数調査やその前提である業務研究会が超過勤務要素であることにもよるが、同調査の実施前に郵袋の滞留を解消するためでもあつたこと、同月一四日からはそれまで二名しかいなかつた臨時職員を四名に増員したことなどが認められ、更に本件全証拠によつても当時横手支部において時間外労働を拒否することを戦術とする運動や闘争が行われていたことは窺えないなどの事情をも考慮すると、職員に対し超過勤務を命じたり臨時職員を活用したりすることによつて同月二二日に実施予定の物数調査の前に郵袋の滞留を解消することを期待できたものといえよう。ちなみに、土舘証言により真正に成立したことが認められる乙第一〇号証の一、二、前記乙第一一号証及び同証言によれば、昭和五三年度の物数調査は結局五月中に実施されず、六月二一日から実施されたこと、同月上旬からずつと大型通常郵袋の滞留が生じていたが、同調査の実施前にはこれが解消されたこと、同月九日に三六協定が締結されたことを認めることができるところ、本件全証拠によつても、六月当時郵便課内務職員の人員を増加したり、臨時職員を殊更増員したこと、年休の時季指定がないかあるいは年休の時季指定に対し時季変更権を行使したことなどの事実は認められず、その他五月当時よりも要員事情が好転したとの状況も窺い得ないから、結局右郵袋の滞留の解消は三六協定の締結により超過勤務を命じ得たことに負うところが大きいものと推認できる。

(三) 次に要員配置状況について検討する。

前記争いのない事実に成立に争いのない甲第一〇ないし第一四号証、乙第七号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一六号証、土舘証言により真正に成立したものと認められる乙第八号証、土舘、加藤、草薙の各証言及び原告本人尋問の結果によれば次の事実が認められる。

五月当時における郵便課内務の職員構成は課長、副課長、課長代理各一名、主事二名、主任六名、一般職員二七名の合計三八名であつたが、そもそもの定員は三五名であつたので三名の過員となつていた。そのうち課長と副課長らを除いた三六名の職員が前記郵便課の内務作業に従事していた。その各曜日における勤務及び担務の種類別標準的要員配置数は別表(二)のとおりである。他方五月一四ないし一六日の時点で予定されていた同月一六日から同月二一日にかけての勤務及び担務の種類別実際の要員配置数は別表(三)のとおりである(なお右要員の中に臨時職員四名は含まれていない。)。そして、右両者を照らし合わせてみると、五月一六日の時点において、同月一九日はともかくとして、同月二〇日は通常中勤二の担務者が一名、同月二一日は通常中勤一、小包日勤一、小包日勤三の各担務者が一名ずつの計三名、それぞれ定められた標準的要員配置数を下回る予定となつていたことが明らかである。

もつとも、前記甲第一六号証によれば、五月中においても、標準的要員配置数を下回つた職員構成の日が相当多くあつたこと、そして原告が欠務した同月一九ないし二一日における欠務者数と同数かそれ以上欠務者の出た日も少なからず存したことが明らかであり、しかも土舘、加藤、石井の各証言によれば、これらの日においても時季変更権は行使されなかつたというのであるから、これらの事実によれば、前記別表(二)の各曜日における勤務及び担務の種類別標準的要員配置数も絶対的に必要とされる最低要員配置数を示すものではなく、平常時における一応の目安を意味するにすぎないこと、欠務者が多数現われ右標準的要員配置数を下回る場合も、これが直ちに横手局郵便課内務の業務の支障につながるというわけではないことを示唆するものといえよう。そして、右標準的要員配置数が郵便物の多寡等諸般の事情によつて変動する場合があることは土舘課長自身証言するところであり、弁論の全趣旨からも明らかである。しかして、被告のいう右標準的要員配置数に、それ以上の意味があることは本件全証拠によつても窺い得ない。

(四) なお、年休や組合休暇による欠務がどの程度まで許されるのかを大雑把に試算してみると次のようになる。

前記のとおり郵便課の内務作業に従事する職員が三六名であるから、これから各曜日における勤務及び担務の種類別標準的要員配置数の合計を差し引くと、日曜日や祝日(以下「日曜」という)には一四名、それ以外の曜日(以下「平日」という)には九名の欠務が許容され得る勘定になる。次に、前記甲第一〇ないし第一四号証、第一六号証、土舘、加藤、草薙の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、日曜には八、九名程度の、平日には四、五名程度の週休者が指定されていたこと、そのほかほぼ連日一、二名の非番者がいたこと、五月当時においてはほぼ毎日のように一、二名程度のいわゆる計画年休者がいたことが認められ、前記数値から、これらの各曜日に予定されていた定数的な欠務者である週休者、非番者、計画年休者を差し引くと、年休や組合休暇による欠務許容者数が割り出せるところ、日曜におけるそれは一ないし四名、平日におけるそれは〇ないし三名となる。もつとも前記甲第一六号証から明らかなように五月当時は長期病欠者がおり、土舘証言によればその補充がなされなかつたというのであるから、病欠者分も含めて考えると、年休や組合休暇として許容され得る数値は更に小さくなる。

そして、右数値は年末繁忙期等を除く平常時において、四、五名程度の年休時季指定者がいても、佐藤正三郎主事はこれをほぼ無条件で認めていたとの加藤、草薙、原告らの供述内容に概ね符合するものである。

(五) ところで原告の欠務が実際に業務に与えた影響は次のとおりである。

(1) まず前記争いのない事実と認定事実に、前記甲第一〇ないし第一四号証、乙第七、八号証、第一一号証、成立に争いのない乙第一五号証、石井、土舘の各証言、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば左記の事実が認められる。

ア 横手局郵便課内務職員の勤務及び担務は別表(一)、(二)のとおりである(但し、勤務の種類のうち日勤四、同六、中勤三、夜勤三、同四、一六時間勤務一は実際には用いられていない)。

イ 原告の五月一九日の勤務及び担務の種類は通常日勤一、同月二〇日のそれは通常高等信中勤二、同月二一日のそれは小包日勤三であつた。

ウ そして五月一九日の通常日勤一の担務の内容は午前中高等信、午後から大型通常であつたが、これと殆んど同一の勤務及び担務の通常日勤七の佐藤徳蔵がおり、殊に高等信の繁忙時間帯を含む午前七時三〇分から同八時二〇分までの間は、小包分配日勤一の奥山利平も同処理を行い、加えて配達発着日勤一の柴田衛も同処理にあたり得たのであり、更にそれでも間に合わないときには主事担務者の応援が期待できる態勢になつていた。そして要員配置上は同時間帯の高等信処理は通常日勤一、同日勤七、小包分配日勤一の三名で行うこととされていたが、実際には右三名のうち二名と他に配達発着日勤一や主事日勤一、同日勤三のうち一名の応援を得て計三名で行うことも少なくなく、五月中に限つてもそのような態勢で処理された日は、本件一九日のほかに一三日、一五日、二三、二四日の四日があつたのであり、格別異常と目すべきことではなかつた。また、第二の繁忙時間帯である午前一〇時四五分ころから同一一時三〇分までは、高等信の処理要員として前記通常日勤七の佐藤徳蔵のほか通常高等信中勤二の松井日出男がいた。なお、午後からの大型通常の処理については、原告のほかに担務指定表上は通常日勤七の佐藤徳蔵、主事日勤三の小林文雄、同中勤二の佐藤正三郎、通常中勤一の高橋俊彦、通常分配夜勤二の藤谷貞利、小包分配日勤一の奥山利平、分配小包中勤二の伊藤和広(但し、その時期は不明であるが、実際には病欠扱いされている)、分配高等信中勤二の山本昭之の計八名がこれにあたり得ることになつていた。

エ 次に、五月二〇日の通常高等信中勤二の担務は一日中主として高等信処理にあたるものである。高等信処理の午前中の繁忙時間帯である午前一〇時四五分ころから同一一時三〇分までの間は、その処理要員として通常日勤七の佐藤啓一、同日勤一の佐藤栄悦の二名がおり、前日同様それで間に合わなければ配達発着日勤一や主事担務者の応援が期待できなくもなかつた。また午後からは通常高等信夜勤二の高島修三がいた。

オ 更に、五月二一日の小包日勤三については、一日中小包の処理にあたる担務であつた。他に同一勤務及び担務の伊藤博志がいたほか、小包日勤三の小松利孝、配達発着日勤一の佐藤栄悦もおり、更に小包日勤三とほぼ同一の勤務及び担務を行う臨時職員四名がいた。

(2) そして右(1)冒頭掲記の各証拠によれば、更に次の事実も認められる。

ア 五月一九日については主事日勤三の小林文雄が原告の後補充に入つたため同人の行う予定であつた午後の大型通常の処理者を欠く結果となつた。もつとも同日午後からの大型通常の処理には通常日勤七の佐藤徳蔵、主事中勤二の佐藤正三郎、通常中勤一の高橋俊彦、通常分配夜勤二の藤谷貞利、分配高等信中勤二の山本昭之らがこれにあたつたものであり、原告の後補充に入つた小林文雄を合わせると計六名がいたことになる。

しかして前記のとおり同日における大型通常郵袋の未処理数は三〇六袋であつた。

なお同日特殊日勤五に指定されていた佐藤司郎が午後三時から二時間年休をとつたが、その欠務は放置できず、同時間帯に大型通常処理にあたる予定であつた主事中勤二の佐藤正三郎がその後補充をも兼務し、更に同日午後から大型通常処理にあたる予定であつた小包分配日勤一の奥山利平が午後〇時三三分から三時間年休をとり、その後補充がされなかつた等の事情もあつた。

イ 五月二〇日については小包分配日勤一の山本昭之が原告の後補充に入つたため、同人の行う予定であつた午前中の小包処理は他の職員の応援等で処理できたものの午後からの大型通常処理者を欠く結果となつた。もつとも、同日午後からの大型通常処理には主事中勤二の善村正一、主事日勤三の高橋誠一、通常中勤一の草薙一美、通常日勤七の佐藤啓一、通常分配夜勤二の佐藤正三郎らの計五名がこれにあたつた。

しかして前記のとおり同日における大型通常郵袋の未処理数は五一〇袋であつた。

なお、同日窓口夜勤一の石井正志が組合休暇をとつたため、その後補充として分配小包中勤二の高橋俊彦が入つたが、その後補充がなかつた結果同人の行う予定であつた大型通常処理等はその処理者を欠くこととなつた。また発着小包中勤二の柴田衛が年休をとつたため、小包日勤三の松井日出男がその後補充として入つたが、同人の後補充がなかつたため小包処理者を一人欠くこととなつた。

ウ 五月二一日については、分配小包中勤二の伊藤博志が原告の後補充に入つたため、同人の行う予定であつた大型通常処理等の処理者を一名欠くこととなつた。もつとも同日の大型通常処理には主事中勤二の佐藤正三郎、通常日勤七の伊藤和広、通常日勤一の佐藤徳蔵、通常分配夜勤二の山田舜二の計四名がこれにあたつたほか、同日は日曜日であつたため普段より業務量の減る担務があり、その担務者も大型通常の処理にあたり得た。それは小包日勤三の伊藤博志(原告の後補充者)、分配窓口中勤二の加藤良一、通常高等信夜勤二の佐藤司郎の三名である。

しかして前記のとおり同日における大型通常郵袋の未処理数は六八一袋であつた。

なお同日通常高等信中勤二の高橋誠一が午後一時三三分から二時間年休をとつたため主事中勤二の佐藤正三郎がその後補充に入つたが、同人の後補充がなかつたため同時間帯における大型通常処理や小包処理の処理者を欠くこととなつた。しかしながら同日は日曜日であつたため通常高等信中勤二の担務者も大型通常処理を応援することになつていたから、結果的には右高橋の時間年休に起因する大型通常処理者の増減はなかつたことになる。

エ そして右のように欠務者の後補充のための勤務や担務の指定変更がなされるのは通常のことで、むしろなされない日は殆んどなかつた。

(3) 以上によれば、原告の五月一九ないし二一日における各担務は、いずれも一人だけの担務指定ではなく、それ故程度の差こそあれ他の職員の共助応援を期待し得たこと、殊に五月一九日の午前中の高等信処理のように、後補充がなくても欠務による影響を最小限に押え得る態勢がとられている担務もあり、現に同日と同様の態勢で執務された日もかなりあること、ところで原告の右三日間の担務は主として高等信や小包の処理であり、前記のとおり優先して処理する必要があつたためいずれの日も他の職員による後補充が予想され、指定担務そのものの欠務は解消する見込みであり、実際にもそのとおり解消されたこと、右後補充者の主たる担務は大型通常処理であつたから、原告の欠務による影響は結局大型通常の処理にしわ寄せされていること、しかしながら、大型通常処理担務者は人数が多く、現実にも五月一九日には六名、二〇日には五名、二一日には四名(なお前記のとおり日曜日の特殊性によりあと三名が処理にあたり得た)がそれぞれその処理にあたつていることからみて、相互の共助応援も相当期待でき、原告の欠務による一人当りの作業量の増加はそれほどでもないと推測されるのであつて、これらの事実を勘案すると、原告の三日間の欠務により直ちに大型通常の処理に支障が生じるとは限らず、更に他の諸事情も斟酌して郵便課内務の業務の正常な運営を妨げるような影響が生ずるか否かを検討すべきものと思われる。なお、現実に右三日間について相当量の大型通常郵袋の滞留が生じているが、前記事情に徹すると必ずしも原告の欠務による結果であるともいえないであろう。

(六) 最後に代替要員配置の可能性について検討する。

前記争いのない事実に、前記甲第一〇ないし第一二号証、第一六号証、成立に争いのない甲第二五号証、同乙第六号証、石井、土舘、加藤、草薙の各証言及び原告本人尋問の結果を総合すると次の事実を認めることができる。

原告の五月一九日の勤務及び担務の種類は通常日勤一、同月二〇日のそれは通常高等信中勤二、同月二一日のそれは小包日勤三であつたところ、これらの担務は原告でなければ遂行できないというものではなく、郵便課内務の職員であれば誰でもが代替することができた。そして原告の右勤務の種類は二日にわたつて勤務する一六時間勤務ではなく、指定日一日で終了する内容のものであつた。

五月一九ないし二一日における欠務者の内訳をみれば、代替勤務が可能な週休者が同月一九、二〇日には各四名、同月二一日には八名いた。

ところで、横手局郵便課では、従前から、年休時季指定によつて前記欠務許容者数を越える欠務予定者が出て、業務に支障の出るおそれのある場合には、佐藤主事や土舘課長らにおいて時季指定の撤回を求めて指定者がこれに応じることもあつたが、そうではなく、指定者自らあるいは佐藤主事らが代替勤務者を探し出し、普通はその承諾を得たうえで週休の他日振替や交換をしたり、あるいは勤務指定の変更をするなどの措置をとつて欠務を補充し、もつて指定者の年休をそのまま認めたり、週休の指定替をして指定にかかる日に欠務することを可能ならしめることも多かつた。殊に職員同士の間で週休交換を合意し、その旨佐藤主事らに申し出た場合には、殆んど例外なくその申し出のとおりに週休変更が認められていた。そしてこれまで時季変更権が行使された例は殆んどなかつた。

なお、年休に関する協約等によれば、年休の時季指定は当該指定日の前日の正午までに年次有給休暇請求書に指定の日を記入し、これを所属長に提出してなすことと定められているところ、原告はその趣旨に則り、指定日の前日より四日も前である五月一四日に同月一九ないし二一日の三日間を年休として時季指定したものであるから、郵政事業職員勤務時間、休憩、休日及び休暇規程一九条二項、勤務時間及び週休日等に関する協約付属覚書一五項、二二項によつて、週休日の振替や勤務指定の変更を行うときは、その直前の勤務日における当該職員の勤務終了時までに、当該職員に対しその旨とその後の予定変更をも併せて通知しなければならないとされている点を考慮しても、なお土舘課長において代替勤務者を確保するための措置を講ずるだけの時間的余祐は十分に存した。

以上認定の事実によれば、当時土舘課長において代替勤務者を確保するのに必要な措置を講じたならば、前記時季指定が三日間連続で、かつ休日も含まれるということを考慮しても、比較的容易に原告に替わる勤務者を確保できたであろうと思われる。現に、前記甲第一〇号証、土舘、加藤、草薙の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、時季変更権の行使されたあとであつたが、五月一八日の段階で原告は草薙一美から同人に指定されていた同月二一日の週休と原告に指定されていた同月二二日の週休とを交換することの了解を得て、佐藤主事にその旨申し入れたこと、また加藤良一に対して同月二〇日の年休を付与するために佐藤主事自身の週休を他日振替したこと、高橋誠一と善村正一との間で同月一九日と同月二一日のそれぞれの週休を交換したことなどの事実を認めることができるのである。

なお被告は、五月二一日について、横手局では、郵便物の滞留を解消するため同日を週休として指定されていた職員に対し休日労働を命じることも考慮していたともいうが、右事実を認め得る証拠はない。

3  以上あれこれ検討した諸点を総合すると、確かに五月一六日時点において同月二二日からの物数調査が予定され、それに備えて同月二一日までに大型通常郵袋の滞留を解消することが要請されていたところ、すでに相当数の滞留がみられ、しかも原告が年休として時季指定した三日間については標準的な要員配置数を下回つた要員しか確保できておらず、欠務による後補充も完璧であるとは言い難い状況であつたから、原告の三日間の年休を容認するときには直接、間接に大型通常の処理、ひいては郵便課内務の業務に支障を及ぼすおそれが皆無であつたとまでは認められないものの、本件においては、物数調査の実施前に郵袋の滞留を解消することも十分期待できたうえ、同月一九ないし二一日の三日間における要員事情についても、臨時職員の雇傭があり、更にはそもそも標準的な要員配置数そのものも業務の円滑な遂行に必要な最少限度の要員数を的確に示すものとも言い難いことなどからみると、五月一六日当時において、右三日間についてそれ以上一人の欠務者も許容できない程員数的に余裕がなかつたものではないと言い得るし、更に、欠務による影響を最小限度に押える勤務態勢がとられ得たこと、原告に替わる勤務者を確保できる可能性も相当あつたことなどの事情も存し、これら諸点をも勘案すると、原告に対し、その時季指定にかかる五月一九ないし二一日の三日間を年休として付与しても、郵便課内務の行う業務に支障が生じるとはいえず、従つて、これが労働基準法三九条三項但書にいう横手局における事業の正常な運営を妨げる場合に該当するとは認め難い。

そして、他に右場合に該当することを窺わせる事情は本件全証拠によつても見出し得ない。

よつて、土舘課長による本件時季変更権の行使は、その要件がないのになされたものであつて、無効というべきである。

三  信義則違反

1  原告が昭和五三年度の当初において二〇日と一時間分の年休の権利を有していたこと、本件五月一九ないし二一日の三日間のほかに更に二〇日間の年休を取得して欠勤したことという被告の主張3の(一)の事実は前記のとおり当事者間に争いがない。

2  成立に争いのない乙第一六号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、横手局では、職員の休暇について休暇経理簿でこれを経理するとともに、職員自身も取得のつどこれを確認して認印していたこと、昭和五三年度の休暇経理簿中には五月一九ないし二一日の三日間について、年休経理の記載がないこと、原告はそれ以降の年休取得の際に認印していたこと、本件訴訟が提起された一二月二二日当時、二日と一時間三〇分の年休が残つている旨同経理簿に記載があること、本件訴訟においては当初から右三日間の年休取得の成否が重大な争点の一つとなつていること等を認めることができ、これによれば、原告において、右三日間について年休処理されていないことを奇貨として同年度中に二三日間の年休を取得したのではないかとの疑念を抱れてもやむを得ないというべきである。

しかし原告はこの点について、右三日間につき争いのあることを知りながらその後の年休請求の際これを失念し、結果的に二三日間の年休を取得してしまつた旨主張し、かつ、そのとおり供述している。そして休暇経理簿に右三日間を除いた残日数の記載があり、一般に職員はこれに着目して自己の年休権の残余日数を確認するであろうと思われるから、原告の弁解もあながち信用できないわけではない。しかして他に原告が右三日間について年休として取得したことを自覚しながら敢えて二三日間もの年休を取得したことを認めるに足る証拠はない。

そのうえ右三日間の年休が原告の所論のとおり有効に取得されたとすると、結果的には昭和五三年度中にとられた最後の三日間を年休として取扱うわけにはいかないことになるが、これについては余分に支払われた過払賃金の取扱いを含めて横手局側で別途対応措置をとり得ないわけでもないことや被告の信義則違反の主張は最終口頭弁論期日において初めてなされたものであるという当裁判所に顕著な事実をも考慮すると、所論の事実が存するとしてもなお原告の本件年休時季指定に関する主張や賃金カツト分の未払賃金の請求が信義則に反して失当であるとまではいえない。

四  原告の五月二三日における言動について

1  前記争いのない事実に、成立に争いのない甲第一号証、土舘、菅原の各証言、原告本人尋問の結果によれば次の事実が認められる。

土舘課長は、五月二三日午後一時すぎころ、原告に対し、同月一九ないし二一日の三日間が無断欠勤であるとして疎明書を翌日までに提出するよう求めた。これに対し、原告は、土舘課長による時季変更権の行使は何らその要件がないのに原告をしていわゆる成田空港開港阻止闘争に参加させないためになされたもので違法無効であり、従つて有効に年休を取得したのであるから無断欠勤とはならない旨確信していたのでいたく立腹し、強く抗議する意図の下に、同課長に対し「ふざけるんでない。労働者の権利を踏みにじつておいて無届け扱いするとは何事だ。始末書を書くのは無用のトラブルを職場におこしたあんたの方だ。バカケ。」などと大声で申し向け、更に右手拳で同課長の事務机の上を数回強く叩いた。その際土舘課長は着座しており、他方原告は立つていたが、これは着座していたところから立ち上つたのではなく、やりとりの最初からその姿勢であつた。原告は机を叩くうちに、机の上に載せられていた土舘課長の左肘に右手拳が当り、これをはね上げてしまつた。もつとも原告としては故意に同課長の身体に危害を加えようとしたわけではなく、偶然当つただけであるし、また「バカケ」という言葉は湯沢地方において「馬鹿なことを言うな」という程度の意味で使われており、原告も同様の意味で用いたもので、その語感が一般に与えるほど侮辱的な意味は含まれていない。また原告の右言動は郵便課事務室内で他の職員の勤務中になされた。

そして以上の認定を覆すに足る的確な証拠はない。

2  右認定事実によれば、原告の右言動はいかに抗議の意思でなされたものであつたとはいえ、穏当を欠いており、その点非難を免れ得ないと思われる。なるほど、原告の言動に抗議の意味のほかに土舘課長個人に対する怨恨を晴らすことだとかあるいは抗議のうえ何らかの要求を通すことだとかの意図をも有していたことは本件全証拠によつても窺い得ず、むしろ前記言動に照らすとかかる意図は有していなかつたものと推認できる。その動機、目的においても格別非難すべき点はなかつたといえる。そればかりか、その行為も、身体に対する暴行につき故意があつたわけではないといえようし、その言辞も、内容からみると侮辱的な意味合は殆んど含まれていない。しかも本件においては土舘課長の側に、前記のとおり要件を欠くのに時季変更権を行使して原告の欠務につき無断欠勤扱いしたうえ、その疎明書の提出まで求めるなど原告から抗議を受けてもやむを得ないと思われる事情が存したのである。しかしながら、前認定のとおり、原告は勤務時間中に多数の職員の見ている前で、土舘課長の机の前で大声で穏当でない言葉を吐き、かつ、机を数回強く叩いたというのみならず、同課長の左肘をはねあげてしまつたのである。してみると、原告の意図や土舘課長らの側の事情を考慮しても、原告の本件言動は、態様、程度、結果等の諸点において、抗議行動として許容される限度を越えたものであり、職場秩序を乱し、国家公務員としての職責にも反するものであつたことは否定し得ないというべきである。そして、原告において、その抗議の目的を達するのに、他のより穏当な手段・方法をとり得なかつたことを窺わせる事情は本件全証拠によつても認め難い。結局原告には国家公務員法九九条に違反し、同法八二条一、三号に該当する事由があつたと認められてもやむを得ないところである。

五  本件処分の効力

以上判示したところによれば、本件処分理由の一つとされた三日間の無断欠勤の事実についてはこれを認めることができないのは明らかである。そこで更に原告の土舘課長に対する五月二三日の言動について検討する。一般に、懲戒処分に該当する事実が存する場合、処分を行うか否か、処分の時期・種類・程度等を如何にするかということは、懲戒権者の裁量に委ねられているところである。それ故、懲戒権者において、懲戒権を付与された趣旨・目的(行政庁内における秩序の回復・維持)を逸脱し、恣意的に著しく不公正な処分を行つた場合のように、裁量権の範囲を踰越し、これを濫用したと評される場合を除き、当該処分は裁量権の範囲内にあるものとして、その当否が問題とされることがあつても、違法・無効とはならないものといえよう。これを本件についてみるに、原告の土舘課長に対する五月二三日の言動は、前認定のとおりその態様、程度、結果等に鑑み、これが懲戒処分に価しないものということはできない。また、右事実だけなら本件処分が行われなかつたであろうことを窺わせる事情は本件全証拠によつても認めることができない。しかして、本件処分の程度・内容は一か月間俸給の月額の一〇分の一を給与から減ずるというものにすぎず、人事院規則一二―〇の第三条に規定された処分の程度・内容に照らすと軽微な処分であつたと評し得るから、本件処分が右処分事実に対するものとしては著しく均衡を欠くものともいえない。なお、前記争いの事実に、成立に争いのない甲第二ないし第九号証、前記甲第一〇ないし第一四号証、第一六号証、石井、土舘、加藤、草薙、菅原の各証言(但し、土舘、菅原の各証言中後記認定に反する部分は除く)、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告が指摘するように、土舘課長において、時季変更権の要件を欠くかあるいは欠くおそれがあることを知りながら、原告をしていわゆる成田空港開港阻止闘争に参加させないとの意図の下にこれを行使し、関川局長においてもその間の事情を知悉していたことを窺知できるが、それ以上に、他の処分理由についてまで懲戒処分の本来の目的を逸脱した不当違法な何らかの意図の下に、恣意的に本件処分を行つたことなどを窺わせるというものではない。また、本件全証拠によつても、懲戒権者において、かかる意図を有していたことを窺い得ない。そうすると、原告に対し、土舘課長に対する言動のみを理由として懲戒処分を行つたことに裁量の範囲を逸脱した違法があるということはできず、また、懲戒処分として本件減給処分を行つたことも裁量の範囲内にとどまつているといえよう。

その他本件全証拠によるも、本件処分に、これを無効とする程の重大明白な瑕疵が存したことを窺わせる事情を認めることはできない。よつて、本件処分は適法有効である。

六  結局、原告は被告に対し、本件賃金カツトの無効を理由として三日間の未払賃金一万七〇二八円と労働基準法一一四条に基づく右同額の附加金及び右未払賃金に対する遅延損害金を求めることができる。

第三本件処分が違法であることを前提とする原告の不法行為の主張は、第二で説示したとおりその前提を欠くので理由がない。

第四結論

以上のとおりであつて、本件各請求のうち本件処分の付されない地位にあることの確認を求める部分は不適法であるからこれを却下し、被告に対し、本件賃金カツトにより支払われなかつた未払賃金一万七〇二八円と労働基準法一一四条に基づく右同額の附加金との合計金三万四〇五六円及び右未払賃金に対する賃金支払期日の翌日である昭和五三年六月一八日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める部分に限り理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用については行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九二条本条を適用し、仮執行宣言についてはこれを付すことが適当でないから右申立を却下することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 鈴木経夫 小松一雄 播磨俊和)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例